相馬自動車商工リース事業部。
昭和50年9月8日の日刊自動車新聞が発掘されましたと。
今では珍しくもなんともなくなった自家用乗用車の自動車リース業を
栃木県でいち早く始めた”アイデア企業”の相馬自動車商工などど
全国版のこの新聞で紹介されました。
当時ピヨピヨの私はこういう記事になったこととか
いちはやくリース業を始めたことなど知るよしもなかったわけですが。
読みにくい当時の記事を掘り起こして読み進めると
”定款にリース業をうたっている会社は多々あれど、じっさいに乗用車のリースに手を出す業者はいなかった”
とか
”農村地帯に残っている「借りものの車に乗っている」という自尊心を傷つけないために、全従業員に
リース車であることを社外に漏らさないよう口止めした”
やら”ユーザー出費はパンクと燃費だけ”
など古文書を読み進めるかのごとき興味深い記述がみられます。
私の知る限り当時の相馬自動車商工はガチガチの技術志向の強い職人系の整備業だった覚えがあります。
が、当時の社長(現会長)がアイデアマンであり、しっかりとしたリサーチと強い信念と先を見る目を
もってリース事業部を立ち上げたのだなあと思いました。
リースメンテの記録はすべてノートに(ノートパソコンでなく紙のノート)
記述して細かく管理していたそうです。
”県内でいち早くタイプ打ちの請求書を導入”
とか。
そういえば
当時の相馬自動車商工のキャッチコピーが
”コンピューターのある整備工場”
だったのを思い出しました。
いつの時代もいち早くリスクをとって勝負するというのは
差別化の基本。
”現社長のお前はどーなんだ?”
とこの古い新聞記事(と会長)に問われてるような気がしてなりませぬ。
それにしても
”パンク代”(笑)
農村地帯の栃木県黒磯市(当時)ではそんなにパンクが多かったんですかね?